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あとがき、の・ようなもの

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写真はバンコクからの帰りの機内から見た沖縄本島です。この美しい島を見て、日本に帰ってきたことを実感しました。

バンコクで性別適合手術を受けてそろそろ3か月になろうとしています。
新しく手に入れた身体にも随分と慣れてきました。痛みもほぼなくなりました。

8月31日、東京家庭裁判所に性別の変更の審判を申し立てました。雨が降る蒸し暑い日でした。
1週間くらいで面接なしで判決が出ると思っていましたが、以外と時間がかかり、9月17日に出廷するようにという電話がありました。

当日は、こんな場面を想像していました。裁判官が出てきて開口一番「認めます。今まで辛かったですね」。そして私が泣き崩れるという場面を。多くの人の体験談を読むと、そんな感じだったので。
しかし、通された部屋には書記官がいるだけで、ダラダラと書類について確認をしました。そして別室で待つようにと言われ、離席しました。長い間待ちました。それでも、再び部屋の呼ばれて性別が変更できればそれも我慢できます。
40分くらい待たされ、再び書記官が現れます。今日は結果が出ないので、裁判所からの通知を待ってください、とのこと。それから今日まで不安の中で待ちました。

そして9月19日、書留で通知が来ました。恐る恐る開封しました。

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身体から力が抜けました。
おかげさまで、性別を男から女に変更することができました。

長い戦いが終わりました。
これからは、より幸せになれるように生きていこうと思います。

多くの人のお世話になりました。みなさん、ありがとうございました。
そして、いつも励ましてくれたAにゃん、心からありがとう。

このブログは、これで本当に終わります。





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男性器を取ったら鬱が治った

帰国して1週間になろうとしています。
バンコクよりも過酷な気候の東京の生活にはまだ馴染めていません。
体力も低下しているし、患部の痛みもまだあります。
でも、新しい生活をスタートする時期になりました。
それに伴い、このブログも最終回です。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

私は長い間、うつ病を患っていました。病気になった原因は3つありました。そのうち、2つはなんとか解決しました。しかし、残る1つの問題、性別に関する違和感が私を苦しめていました。何度死のうと思ったかわかりません。私に勇気があったら、きっとあの世に行っていたと思います。

しかし、やっとお金を調達して手術を受けることができました。すると、長年私を苦しめていた悪魔は遠くに行ってしまいました。私は、文字通り憑き物を落としたのです。
今、私は自ら死ぬことは考えていません。頭の中の黒い霧もありません。あるのは将来の希望だけです。こんなことなら、もっと早く手術を受ければ良かったと思います。

もちろん、性別適合手術がゴールではないことは十分に承知しています。ここからがスタートであることも。
体力が回復したら、再就職のための活動を始めます。
9月になれば、性別を変えるための審判があります。
これまで楽しく生きてこれなかったので、それを取り戻すために人生をエンジョイしたいとも思っています。
やることはいろいろあります。

この境地に達するには、多くの人の援助や励ましがありました。決して自分だけの努力で達成したのではないことを一生忘れないつもりです。
本来ならば、お世話になった方々のお名前を記してお礼を言わなければなりません。しかし、お名前を出されてもご本人にご迷惑がかかるので割愛させていただきます。
ただ、執刀医のブリン博士にはこの場でお礼を申し上げます。博士は私の名医です。また、プロジェクトの最初から滞在時、帰国までお世話になった病院専属の通訳さんにも、心からありがとうと申し上げます。さらには、献身的な看護をしてくれたやさしいナース達、快適な住処を提供してくれたホテルの皆さんにも、お礼申し上げます。
そして日本にいてTwitterを通して私を励ましてくれた大切な人に、ありがとう。
最後に、このブログの読者の皆さんにも、ありがとうございますと心から申し上げます。




体調不良

江戸に戻ってきて、体調不良が続いています。
特に無理をして出歩いたというわけではありませんが、微熱、ダルさ、軽い頭痛、患部の鈍痛やチクチクした痛みが続いています。

帰国翌日に、精神科に行ったときに外出しましたが、バンコクよりも高温多湿で電車も建物もエアコン控えめにしていることが影響したんだと思います。

食事も、自炊する気力が湧かず、ご飯を買ってお家で食べています。
あと何日かはこのような状態が続くと思いますが、じきに元気になるでしょう。

バンコクでは、朝晩のごはんやお部屋のお掃除を心配しなくてよかったので楽でした。
今は全て自分でやらないといけません。その辺りがちょっとシンドイです。

でも、あれほどの大きな手術をしたんだから、体力が奪われるのは仕方がないですよね。
がんばって早く治します。


キャプテンアナウンス

無事に帰国して、江戸のアパートに戻りました。
早くもホームシックです。
誰かが、タイは癖になる、と言っていましたが本当のようです。

昨日の朝6時30分、ホテルをチェックアウトしてスワンナプーム国際空港に向かいました。
まだ早かったので、チェカウンターは開いていませんでした。
時間になり、職員の皆さんが立ち上がって合掌のあいさつ。業務開始です。
荷物を預けて搭乗券をもらいます。

バンコクで一度もマッサージに行けなかったので、空港でマッサージ屋さんに行きました。
3階のレストラン街の端にお店はありました。
肩と足のマッサージ1時間で500バーツです。市中よりお高いのですが、それでも日本よりはお安いと思います。
施術者の腕はまあまあ。とりあえず、身体が軽くなったので良しとしましょう。

お店を出て、いよいよ出国です。
手荷物検査を受け、パスポートコントロールに進み、搭乗ゲートへ。
時間になり、機内へ導かれます。

搭乗率はほぼ100%。
定刻より2分遅れて出発しました。
機体が浮かび上がり、バンコクの街が眼下に広がります。
たった23日という短期間ではありましたが、私が生活した街です。
心の中でさよならを言い、再びここに戻ってくることを誓いました。

私が乗ったB787の機長は日本人でした。
私は、ヒコーキに乗ると楽しみにしているのがキャプテンアナウンスです。
機長自らがマイクを握り、乗客に話しかけます。
やはり、欧米人の機長のアナウンスは上手です。人前で話す訓練を子供の頃から受けているからでしょう。
でも、日本人の機長でも上手な方がいらっしゃいました。

「本日はアルファベットの最初の言葉、「J」ではなく「A」から始まる航空会社をご利用いただきありがとうございます」というものでした。もう20年近く前に聞いたアナウンスなのに、今でもよく覚えています。

ということで、今回もキャプテンアナウンスを期待したのですが、とても残念なものでした。
おまけに英語も上手ではなく、何を言っているのか判りませんでした。
その他にも、今回のフライトはいろいろ不満があり、次回は利用しないと決めました。
国内線は「J」で始まる航空会社が嫌いなので、仕方がなく「A」から始まる航空会社を利用しますが、国際線では絶対に利用したくありません。

さて、帰宅して荷物の整理をしていると、少しですが喪失感があります。でも、手術がゴールではなく、スタートなので明日から気持ちを入れ替えて生きようと思います。
とりあえず、今夜は疲れが溜まっているので、もう寝ようと思います。



羽田到着

私を乗せた全日空機、B787ドリームライナーは無事に羽田に到着しました。
久しぶりに見る東京の風景。新鮮に感じます。ここが今日から私が戦っていく街です。

これからモノレールに乗り、浜松町を経由して帰宅します。
途中でかつての職場だった大井競馬場が見られるのが楽しみです。
本当は京浜急行で品川経由の方が早く帰ることができますが、どうしても大井競馬場が見たくてこのコースを選択しました。

今、一番食べたいものは冷凍食品です。
でも、帰国最初の夕食は、いいものを食べることにします。

今夜はよく眠れそうです。
明日は、精神科医に帰国の報告をして、手術後最初のホルモン注射を打ちます。


さよならバンコク

バンコクでの生活を終えて、東京に戻ります。
帰国前の日曜日に少し体調を崩したくらいで、大きなトラブルもなく過ごせました。

タイは仏教国です。そのためか、街中は平和でした。路上にゴミが落ちているのもあまり見かけませんでした。東京ではゴミがいたるところに落ちています。特にタバコの吸殻は目に余るものがあります。でも、バンコクではあまり見かけませんでした。

街の人も親切でした。電車の中で辛い時は、席を譲ってもらったことが何回かあります。タイの人から嫌な思いをしたのは、数えるくらいしかありません。

もちろん、いいことばかりではありません。今は外貨を落としてくれる旅行者だから親切にしてくれているんだと思います。もし、この国に移住してきたら、扱いが変わることは承知しています。
それでも、タイはいい国であり、タイの人はいい人だと思います。私は好きです。

一番好きな部分は、いい意味でゆるいことです。
日本では、いつの頃からか精神的なゆとりがなくなりました。みんな命を削りながら生きています。
でも、この国では貧しくても幸せに生きているように見えます。
みんな笑顔で働いています。歯を食いしばって働いている人は見たことがありません。

タイは、10年後には高齢化社会になると言われています。ということは、あと10年は成長が持続すると言えます。
日本はすでに成熟していてエネルギーがありませんが、タイはまだまだエネルギッシュです。チャンスはごろごろと転がっているように思います。

また、この街に戻ってきたいと思います。しかし、今回の手術で全財産を使い果たしたので、再訪は少し先になると思います。

さよならバンコク、また逢う日まで。



ホテルを引き払う

高校生の頃、リンガフォンのカセットテープで英語を勉強していました。
その最終レッスンで「ホテルを引き払う」というタイトルのレッスンがあったことを記憶しています。
そのタイトルからは、旅が終わるさみしさを感じました。

23日間のバンコク生活も明日で終わります。
明日の今頃は、東京のアパートにいると思います。
振り返れば、夢のような3週間でした。
念願だった性別適合手術を受けて、女になりました。
また、バンコクの生活も満喫しました。

バカンスはいつか終わります。
明日からは現実の生活が待っています。
重圧もあるでしょう。ストレスにも晒されるでしょう。苦しいことも悲しいこともあるでしょう。
でも、戦っていかなければなりません。
でも、人生を楽しみたいと思います。

私の人生は、競馬で例えれば最終コーナーを回って最後の直線コースに入っています。ゴールも見えてきました。しかし、まだ先頭集団から離れた位置にいます。この人生という競馬で勝利することはおそらくは無理でしょう。
しかし、少しでも着差を縮めてゴールしたいと思います。

私は、もう一度戦う楽しむチャンスを得ました。それを決して無駄にしないようにしたいです。

明日は早起きです。そろそろベッドに入ります。


ドクターは遅れてやって来る

今日は10時からPAIで執刀医のブリン博士の最終診断。
タクシーで予定通り到着しました。
待っていると、博士は車の故障で到着が遅れるとのこと。
焦っても仕方がないので、ゆっくり待つことにしました。

12時少し前に博士が到着して、再びM字開脚台に座りました。
緊張しましたが、無事に合格です。
抜糸はしなかったので聞いてみたら、溶ける糸を使っているが、顔を出してきて簡単に抜ける糸は抜いていいということでした。
意外だったのは、お風呂は当分シャワーだけで浴槽には浸かってはいけないとのことでした。

診察室を出て、手術の証明書をもらいました。
英語と日本語で書かれた書類です。
それを見た時、やっと終わったという安堵感を覚えました。
でも、考えてみれば、これからがスタートです。
遅いスタートですが、私の人生の勝利者になりたいです。


一転、体調不良に

バンコクで過ごす最後の日曜日。
思い出を作るために都心方面に向けて出かけました。
BTSに乗って行った先は、サパーンタクシンという駅。この駅はチャオプラヤーエクスプレスという海上交通の桟橋と連絡しています。ここから船に乗って、船上からバンコク観光をしようと考えました。

桟橋には朝早くから観光客が並んでいます。私もその列に加わりました。目指すは、一つ先の桟橋であるオリエンタル。マンダリンオリエンタルの最寄の桟橋です。ここに、用事がありました。

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地上は蒸し暑かったのですが、水上は涼しそうに感じました。
しばらく待っていると、下流からボートがやって来ました。みんな乗り込みます。
全員が乗り込むと、出航です。一つ先の桟橋までは15バーツです。私は運賃を払い、下船の準備をしましたが、人をかき分けている間にボートは再び出航しました。
運が悪かったのは、このボートが急行だったため、だいぶ先まで連れて行かれました。
未知の街に降りて途方に暮れましたが、こんな時に役に立つのがiPadと現地の3G回線です。
幸い、目的地からはあまり離れていません。タクシーで戻ることにしました。

そして無事に目的地に着いたのですが、この辺りから体調が悪くなったのを感じました。立っていると、患部が痛みとても辛かったのです。座っても、痛みは変わりなく、用事が早く終わることを待ち望みました。
用事も終わったので、この後の用事をすべてキャンセルしてホテルに戻ることにしました。

途中でロビンソンというデパートがあったので、休憩を兼ねて店内に入りました。
ここでランチをとることにしました。最上階にはフードコートがあります。そこへ行きました。
チケットカウンターで100バーツ分のチャージを行い、お店を物色しました。
そして、中華のお店で餃子ライスとペプシを買いました。これで80バーツ、約300円でした。

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とてもおいしかったです。
エナジー補給をして、BTSの駅を目指します。
歩くのも辛いので、ゆっくりと歩みを進めます。

電車は混んでいました。
辛そうに立っていると、欧米系の男の人が席を譲ってくれました。ありがたかったです。
電車を乗り継ぎ、ホテルの最寄駅であるトンロー駅に到着しました。

ホームから興味深い看板を見かけました。

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なんだか怪しそうなお店です。でも、調べてみたらまともそうなマッサージ屋さんみたいです。

さて、タクシーに乗ればホテルまではすぐです。
しんどいので、少しでも早く帰りたかったのですが、1台目のタクシーに乗車拒否をされました。
2台目のタクシーの後部座席に乗り、ようやくホテルに戻りました。運賃は51バーツでした。100バーツ札を出すと、合掌して丁寧にお礼を言い、お釣りを返してくれません。49バーツもチップを渡すのも悔しいので20バーツ返してもらい、車を降りました。

自分のお部屋に戻り、冷房をかけてようやく落ち着きました。
しかし、患部か痛み、出血もありました。熱も少しあるようです。
原因は、昨夜あまり寝られなかったことが大きいように思います。
今日はもう外出はせずに、おとなしくしています。

明日はブリン博士の最終診断があります。これに合格すると、明後日いよいよ帰国です。
いい意味でも悪い意味でも思い出になる日曜日でした。



まだインターネットがない頃のお話し

バンコク最後の休日を前に、もう一度ガイドブックに目を通しました。
まだインターネットがない頃から海外に出て旅をしてきました。
頼りになるのは、ガイドブックと現地の観光案内所、そして同じように旅をしている人の口コミだけでした。
当時の旅の方が良かったというつもりはありません。ネット時代の旅には、多くのメリットがあります。
しかし、事前にストリートビューなどで街の景色を見ているので、本物を見たときに新鮮さがないことはデメリットです。

1991年、私は病気療養のため、拠点をサンフランシスコに移して生活していました。
滞在が残り少なくなってきて、帰国の準備をしていました。
帰国便はLAからだったので、事前に移動しなければなりません。その前に、サンディエゴに行こうと思いました。目的は競馬観戦です。ガイドブックを頼りに、計画を立てました。
しかし、サンフランシスコで運命的な出会いがあり、私は帰国ギリギリまでサンフランシスコに留まることにしました。
結果は、大正解でした。

その後、サンフランシスコで出会った友達とは東京での再会を約束して、私はLAに移動しました。
ハリウッドの安宿に2泊して、帰国しました。

あれから随分と時間が経ちました。
今、私はバンコクを離れようとしています。
冒頭に書いたように、今一度ガイドブックを読んでいると、あの年のサンフランシスコを思い出しました。

私はまたバンコクに戻ってくると思います。新しい人生を手に入れた街は特別な存在です。
夜が明けると、バンコクで過ごす最後の日曜日です。いい思い出を作るために、お出かけする予定です。
そして、心のカメラに、たくさんの記憶を焼き付けてきます。


プロフィール

ナポリタン

Author:ナポリタン
江戸在住です。

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