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キャプテンアナウンス

無事に帰国して、江戸のアパートに戻りました。
早くもホームシックです。
誰かが、タイは癖になる、と言っていましたが本当のようです。

昨日の朝6時30分、ホテルをチェックアウトしてスワンナプーム国際空港に向かいました。
まだ早かったので、チェカウンターは開いていませんでした。
時間になり、職員の皆さんが立ち上がって合掌のあいさつ。業務開始です。
荷物を預けて搭乗券をもらいます。

バンコクで一度もマッサージに行けなかったので、空港でマッサージ屋さんに行きました。
3階のレストラン街の端にお店はありました。
肩と足のマッサージ1時間で500バーツです。市中よりお高いのですが、それでも日本よりはお安いと思います。
施術者の腕はまあまあ。とりあえず、身体が軽くなったので良しとしましょう。

お店を出て、いよいよ出国です。
手荷物検査を受け、パスポートコントロールに進み、搭乗ゲートへ。
時間になり、機内へ導かれます。

搭乗率はほぼ100%。
定刻より2分遅れて出発しました。
機体が浮かび上がり、バンコクの街が眼下に広がります。
たった23日という短期間ではありましたが、私が生活した街です。
心の中でさよならを言い、再びここに戻ってくることを誓いました。

私が乗ったB787の機長は日本人でした。
私は、ヒコーキに乗ると楽しみにしているのがキャプテンアナウンスです。
機長自らがマイクを握り、乗客に話しかけます。
やはり、欧米人の機長のアナウンスは上手です。人前で話す訓練を子供の頃から受けているからでしょう。
でも、日本人の機長でも上手な方がいらっしゃいました。

「本日はアルファベットの最初の言葉、「J」ではなく「A」から始まる航空会社をご利用いただきありがとうございます」というものでした。もう20年近く前に聞いたアナウンスなのに、今でもよく覚えています。

ということで、今回もキャプテンアナウンスを期待したのですが、とても残念なものでした。
おまけに英語も上手ではなく、何を言っているのか判りませんでした。
その他にも、今回のフライトはいろいろ不満があり、次回は利用しないと決めました。
国内線は「J」で始まる航空会社が嫌いなので、仕方がなく「A」から始まる航空会社を利用しますが、国際線では絶対に利用したくありません。

さて、帰宅して荷物の整理をしていると、少しですが喪失感があります。でも、手術がゴールではなく、スタートなので明日から気持ちを入れ替えて生きようと思います。
とりあえず、今夜は疲れが溜まっているので、もう寝ようと思います。



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羽田到着

私を乗せた全日空機、B787ドリームライナーは無事に羽田に到着しました。
久しぶりに見る東京の風景。新鮮に感じます。ここが今日から私が戦っていく街です。

これからモノレールに乗り、浜松町を経由して帰宅します。
途中でかつての職場だった大井競馬場が見られるのが楽しみです。
本当は京浜急行で品川経由の方が早く帰ることができますが、どうしても大井競馬場が見たくてこのコースを選択しました。

今、一番食べたいものは冷凍食品です。
でも、帰国最初の夕食は、いいものを食べることにします。

今夜はよく眠れそうです。
明日は、精神科医に帰国の報告をして、手術後最初のホルモン注射を打ちます。


さよならバンコク

バンコクでの生活を終えて、東京に戻ります。
帰国前の日曜日に少し体調を崩したくらいで、大きなトラブルもなく過ごせました。

タイは仏教国です。そのためか、街中は平和でした。路上にゴミが落ちているのもあまり見かけませんでした。東京ではゴミがいたるところに落ちています。特にタバコの吸殻は目に余るものがあります。でも、バンコクではあまり見かけませんでした。

街の人も親切でした。電車の中で辛い時は、席を譲ってもらったことが何回かあります。タイの人から嫌な思いをしたのは、数えるくらいしかありません。

もちろん、いいことばかりではありません。今は外貨を落としてくれる旅行者だから親切にしてくれているんだと思います。もし、この国に移住してきたら、扱いが変わることは承知しています。
それでも、タイはいい国であり、タイの人はいい人だと思います。私は好きです。

一番好きな部分は、いい意味でゆるいことです。
日本では、いつの頃からか精神的なゆとりがなくなりました。みんな命を削りながら生きています。
でも、この国では貧しくても幸せに生きているように見えます。
みんな笑顔で働いています。歯を食いしばって働いている人は見たことがありません。

タイは、10年後には高齢化社会になると言われています。ということは、あと10年は成長が持続すると言えます。
日本はすでに成熟していてエネルギーがありませんが、タイはまだまだエネルギッシュです。チャンスはごろごろと転がっているように思います。

また、この街に戻ってきたいと思います。しかし、今回の手術で全財産を使い果たしたので、再訪は少し先になると思います。

さよならバンコク、また逢う日まで。



ホテルを引き払う

高校生の頃、リンガフォンのカセットテープで英語を勉強していました。
その最終レッスンで「ホテルを引き払う」というタイトルのレッスンがあったことを記憶しています。
そのタイトルからは、旅が終わるさみしさを感じました。

23日間のバンコク生活も明日で終わります。
明日の今頃は、東京のアパートにいると思います。
振り返れば、夢のような3週間でした。
念願だった性別適合手術を受けて、女になりました。
また、バンコクの生活も満喫しました。

バカンスはいつか終わります。
明日からは現実の生活が待っています。
重圧もあるでしょう。ストレスにも晒されるでしょう。苦しいことも悲しいこともあるでしょう。
でも、戦っていかなければなりません。
でも、人生を楽しみたいと思います。

私の人生は、競馬で例えれば最終コーナーを回って最後の直線コースに入っています。ゴールも見えてきました。しかし、まだ先頭集団から離れた位置にいます。この人生という競馬で勝利することはおそらくは無理でしょう。
しかし、少しでも着差を縮めてゴールしたいと思います。

私は、もう一度戦う楽しむチャンスを得ました。それを決して無駄にしないようにしたいです。

明日は早起きです。そろそろベッドに入ります。


ドクターは遅れてやって来る

今日は10時からPAIで執刀医のブリン博士の最終診断。
タクシーで予定通り到着しました。
待っていると、博士は車の故障で到着が遅れるとのこと。
焦っても仕方がないので、ゆっくり待つことにしました。

12時少し前に博士が到着して、再びM字開脚台に座りました。
緊張しましたが、無事に合格です。
抜糸はしなかったので聞いてみたら、溶ける糸を使っているが、顔を出してきて簡単に抜ける糸は抜いていいということでした。
意外だったのは、お風呂は当分シャワーだけで浴槽には浸かってはいけないとのことでした。

診察室を出て、手術の証明書をもらいました。
英語と日本語で書かれた書類です。
それを見た時、やっと終わったという安堵感を覚えました。
でも、考えてみれば、これからがスタートです。
遅いスタートですが、私の人生の勝利者になりたいです。


一転、体調不良に

バンコクで過ごす最後の日曜日。
思い出を作るために都心方面に向けて出かけました。
BTSに乗って行った先は、サパーンタクシンという駅。この駅はチャオプラヤーエクスプレスという海上交通の桟橋と連絡しています。ここから船に乗って、船上からバンコク観光をしようと考えました。

桟橋には朝早くから観光客が並んでいます。私もその列に加わりました。目指すは、一つ先の桟橋であるオリエンタル。マンダリンオリエンタルの最寄の桟橋です。ここに、用事がありました。

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地上は蒸し暑かったのですが、水上は涼しそうに感じました。
しばらく待っていると、下流からボートがやって来ました。みんな乗り込みます。
全員が乗り込むと、出航です。一つ先の桟橋までは15バーツです。私は運賃を払い、下船の準備をしましたが、人をかき分けている間にボートは再び出航しました。
運が悪かったのは、このボートが急行だったため、だいぶ先まで連れて行かれました。
未知の街に降りて途方に暮れましたが、こんな時に役に立つのがiPadと現地の3G回線です。
幸い、目的地からはあまり離れていません。タクシーで戻ることにしました。

そして無事に目的地に着いたのですが、この辺りから体調が悪くなったのを感じました。立っていると、患部が痛みとても辛かったのです。座っても、痛みは変わりなく、用事が早く終わることを待ち望みました。
用事も終わったので、この後の用事をすべてキャンセルしてホテルに戻ることにしました。

途中でロビンソンというデパートがあったので、休憩を兼ねて店内に入りました。
ここでランチをとることにしました。最上階にはフードコートがあります。そこへ行きました。
チケットカウンターで100バーツ分のチャージを行い、お店を物色しました。
そして、中華のお店で餃子ライスとペプシを買いました。これで80バーツ、約300円でした。

201507261847460ff.jpg

とてもおいしかったです。
エナジー補給をして、BTSの駅を目指します。
歩くのも辛いので、ゆっくりと歩みを進めます。

電車は混んでいました。
辛そうに立っていると、欧米系の男の人が席を譲ってくれました。ありがたかったです。
電車を乗り継ぎ、ホテルの最寄駅であるトンロー駅に到着しました。

ホームから興味深い看板を見かけました。

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なんだか怪しそうなお店です。でも、調べてみたらまともそうなマッサージ屋さんみたいです。

さて、タクシーに乗ればホテルまではすぐです。
しんどいので、少しでも早く帰りたかったのですが、1台目のタクシーに乗車拒否をされました。
2台目のタクシーの後部座席に乗り、ようやくホテルに戻りました。運賃は51バーツでした。100バーツ札を出すと、合掌して丁寧にお礼を言い、お釣りを返してくれません。49バーツもチップを渡すのも悔しいので20バーツ返してもらい、車を降りました。

自分のお部屋に戻り、冷房をかけてようやく落ち着きました。
しかし、患部か痛み、出血もありました。熱も少しあるようです。
原因は、昨夜あまり寝られなかったことが大きいように思います。
今日はもう外出はせずに、おとなしくしています。

明日はブリン博士の最終診断があります。これに合格すると、明後日いよいよ帰国です。
いい意味でも悪い意味でも思い出になる日曜日でした。



まだインターネットがない頃のお話し

バンコク最後の休日を前に、もう一度ガイドブックに目を通しました。
まだインターネットがない頃から海外に出て旅をしてきました。
頼りになるのは、ガイドブックと現地の観光案内所、そして同じように旅をしている人の口コミだけでした。
当時の旅の方が良かったというつもりはありません。ネット時代の旅には、多くのメリットがあります。
しかし、事前にストリートビューなどで街の景色を見ているので、本物を見たときに新鮮さがないことはデメリットです。

1991年、私は病気療養のため、拠点をサンフランシスコに移して生活していました。
滞在が残り少なくなってきて、帰国の準備をしていました。
帰国便はLAからだったので、事前に移動しなければなりません。その前に、サンディエゴに行こうと思いました。目的は競馬観戦です。ガイドブックを頼りに、計画を立てました。
しかし、サンフランシスコで運命的な出会いがあり、私は帰国ギリギリまでサンフランシスコに留まることにしました。
結果は、大正解でした。

その後、サンフランシスコで出会った友達とは東京での再会を約束して、私はLAに移動しました。
ハリウッドの安宿に2泊して、帰国しました。

あれから随分と時間が経ちました。
今、私はバンコクを離れようとしています。
冒頭に書いたように、今一度ガイドブックを読んでいると、あの年のサンフランシスコを思い出しました。

私はまたバンコクに戻ってくると思います。新しい人生を手に入れた街は特別な存在です。
夜が明けると、バンコクで過ごす最後の日曜日です。いい思い出を作るために、お出かけする予定です。
そして、心のカメラに、たくさんの記憶を焼き付けてきます。


残り少ないバンコク生活

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バンコクでの生活も、あとわずか。
渡航前は、いろいろとやりたいことを考えていましたが、その多くは実現しませんでした。
それでも、一番の目的である性別適合手術を無事に乗り切ったので、良しとしましょう。

競馬場にも行きました。電脳街にも行きました。おいしいものも食べました。地元の人たちと触れ合えました。
でも、観光地にはどこにも行ってません。これは、私の旅ではよくあることです。
次にこの街に来た時のために取っておきます。

残り少ないバンコク生活を十分に楽しんで、東京に戻りたいと思います。


帰国後のプラン

私はダメ人間です。
今はバンコクという異国の地で人生を謳歌しているように見えますが、日本にいた時は、どうしようもなくダメな人間でした。
堪え性がなく、自分に甘く、その結果いい歳になってもまともな生活を維持できませんでした。一時的にたくさんのお金を手にすることはありましたが、それも一時です。

また、体重もとても重くて、見た目ではとても不利な状況ですが、それも自分に甘いからであって、誰の責任でもありません。

今回、このように性別適合手術を受けて人生をやり直すチャンスを与えられました。だから、この機会に自分を変えようと思います。

帰国したら、30kgの減量プログラムを開始します。長年かかってこんなに太ったので、すぐには痩せられないことは承知しています。少しづつでも、体重を減らして健康な身体を手に入れたいです。

お仕事も、少しでもいい条件で雇用されるようにがんばります。
そして、地道な人生を送ります。一攫千金を夢見るのではなく、コツコツと資産を増やしていきたいと思います。
お金が貯まったら、ネコさんと一緒に暮らせるアパートに移ります。

ここからが大切なところですが、どんな状況でも人生を楽しもうと思います。
これまでは、いつも死にたいと考えていました。でも、女として生きるチャンスをもらった以上、楽しまなければ損です。そのために、積極的に外に出ようと思います。

まだまだやるべきことはたくさんあると思います。欲張っても仕方がないので、とりあえずこの辺にしておきます。
私は若い頃に本気で死にたかったです。でも、生きていたから女になれて良かったと思います。人生これからです。


在職トランスと離職トランス

私の場合は、お仕事を辞めて、バンコクにやって来ました。
この歳で離職するのは、再就職できない恐怖との戦いですが、状況が好転するのを待っていたらチャンスを逃すと思っての決断でした。

私の知人には、在職トランスを成功させた人が何人もいます。うらやましいと思いました。
手術を受けるためにバンコクに渡り、帰国後もお仕事に復帰するには、2ヶ月の休職が必要です。これを認めてくれる会社はそう多くありません。また、帰国後女性として就労させてもらうのも容易ではありません。

そんなこともあり、私は離職トランスの道を選びました。
でも後悔はしていません。帰国後は厳しい再就職のための活動を強いられますが、覚悟の上です。
むしろ、早くその挑戦がしたいという気持ちでいっぱいです。

在職トランスにも離職トランスにも、どちらもメリットとデメリットがあります。
それぞれの人によって状況は違います。自分にとってのベストな決断ができれば良いと思います。


プロフィール

ナポリタン

Author:ナポリタン
江戸在住です。

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